ふりかえりー3年後半

 建築/デザインとの距離感を掴めず、かといって他にやりたいこともなく、目標が曖昧なまま始まったAセメスター。良くも悪くも、個人主義を貫き食指が動くままにやりたいことに手をつけてみました。その1つ1つの学びにフットワークを軽く、かつアウトプットを意識したことで僕個人のスキル・領域は大きく広がった、ように思います。

 ただ、その中での反省点が2つほどありました。1つは成果を焦りすぎたことです。焦ると短期間で何かを得ようとしてしまうのだけれど、「短期間で得られる何か」が大きいものであるはずがありません。その成果物に自信をなくして見切りをつけるのが早くなったり、他のことにすぐに目移りしてしまったりしてしまう、といったことがあったように思います。自分がやっていることを信じ続け努力し続けること、その尊さを今一度身をもって知る必要があると感じました。

 2つめは、個人主義の限界を悟ったことです。僕ができることは確かに広がったけれど、上記とはまた別に、その小ささに虚無感を覚えました。自分は何も作り出せない、何も社会に貢献できていない。アウトプット=価値とは限らないし、価値創出なき努力に意味はない、そんな帰結にたどり着きました。充実感でみなぎっていたセメスターに対して終わってから虚無感を感じるのは、それはそれで1つの成長と見るべきでしょう。

 

 余談ですが、そのような「やりたいことをやりたいままに」という態度は、そのものが社会的?本能的?に極めて健全な態度であると、1年間を通して感じました。これにはおそらく2つほど理由があって、1つめはやりたいことをし続けると、自然と自分の本当にやりたいことが残るからです。自分の場合、プログラマーやネット関連への憧憬は一切なくなりました。やっぱり人が生きるということ、住むということ、そこが僕の興味範囲でありライフワークにしていきたい範疇なので、そこに向き合い続けようと思いました。2つめは、人間は多かれ少なかれ同じ欲望のライフステージを登っていると感じるからです。飽くなき(知的)好奇心もそうですが、もう少し本能的な、お金稼ぎたい、モテたい、遊びたい、なども多分同じで、そんな欲望を叶えるとまた次の欲が芽生えることは人間的に極めて健全であると考えます。だから今手に入れたい何かがあるならそれは必死こいて手に入れるか、完全に忘れるか、のどちらかにすべきです。中途半端にして感情に蓋をするのは健全ではないと考えます。

 

 閑話休題。虚無を経験すると、人に求められる歓びがわかります。2019年後半ではその気づきを言語化できつつあったのに、学科のグループワークなどで全く活かせなかったのは大きな反省点です。ただ、論点をずらすわけではないのですが、東京に出てからはや3年、資本主義・効率至上主義のルールが頭にこびりついてしまったように感じて、報酬の出ない努力をコスパが悪いだとか時間の無駄だとか考えてしまう自分がいました。畢竟、大学生が得られる報酬など紙切れに換算しようというのがナンセンスですね。人生を全力で生きて、他人に貢献し価値を創出し、その結果として周囲の人間や市場が評価してくれたら最高です。

 

 そんなわけで、来年度のキーワードは、「個人で何かに没頭し圧倒的な成果を出す」or「チームワークで社会に貢献する」です。大学も3年間終わり、折り返し地点に到達しました。周囲が続々と働き始める中、若さという最強のエネルギー源泉をぐうたら学生として浪費するわけにはいきません。思考に耽るのをやめろ、競争の中に身を置け。牧歌的な幻想から抜け出せ、手を動かせ足を動かせ。そんな感じで進んでいきます。

 

 とはいえ、これを書いている自分は今、コロナウイルスの影響で留学が全て取り消しになり、 完全な迷走状態の真っ只中にあります。先の話を持ち出せば、「世界中を旅していろんな都市を見てみたい」という欲求が完全にへし折られてしまったわけですから、不完全燃焼もいいところです。が、今の心境はまた別の記事で整理しようと思います。

 

 毎年毎年、こんな自分と関わってくれる人間には本当に感謝しかないです。つくづく、人い恵まれているなぁと思うのです。そんな人に還元できる人間になろうと思います。来年度もよろしくお願いいたします。