ふりかえり_修士1年冬休み

 

1-3月は鬱期らしい、と感じるようになったのは2年前からである。が、その前からこの時期は弱かったかもしれない。受験生の時もセンター試験1週間前に乳首にしこりができた。ある日いつものように昼寝をしようと地面にうつ伏せになったら、乳首の奥に馴染みのないこりこりした触感があり、気になって寝られなかった。それがしこりと呼ぶものとわかったのも後日だった。レントゲンやCTスキャンで撮影されても異常は見受けられず、3~4月にそっと消えた。

 

薬を服用する前の症状はといえば、頭が思うように働かない、着手すればいいとわかっているものに手が付けられない、関係ない方向に思考が向く、思考回路は突然切れてシャットダウンする。人と話すのが億劫、体温が低い、寝るというより昏睡する、など。1日の睡眠時間は10-11時間で、1日の稼働時間は0-3時間。ずっと、「生きる理由もないけど死ぬ理由もないからとりあえず死ななくていいか」と思っている。そう思っているときはましで、少し気分が死に近づくときもあるが、今年は幸い希死念慮には至っていない。去年はあった。

 頭が働かない、というのは、例えば、「明日インターンがある」「そろそろシャツをクリーニングに出したい」と思っていた時に、それらをつなげて「インターン後にシャツをクリーニングに出そう」と本来ならなるべきところ、個別にしか対応できず、シャツを出してからインターンがあることに気づき慌てふためいてしまう、といったことなどだ。認知症にも近いような状態と感じている。先のことが考えられなかったり、すぐにものを失くしたり、この程度のことを構造化して考えられなくなる。

 これらは環境によっても左右される。家や研究室にいると息苦しくなり、頭を抱えて目の前を暗くするか逃げるように眠りにつくかしかできなくなる。外に出て散歩をすると、多少ましになって、頭が少しだけ働くようになる、時もある。

 

鬱期手前である11-12月は、また少し違った。集中力はないが、時間に対するコスト意識などはあるから、空白の時間を埋めるように、家事や日頃しなかったことをこなす。この前は部屋中からホコリを取り、シンクをきれいにして、衝動買い後半年間開けてなかったkindle paperwhite開封し、半年間出しそびれていた机を粗大ゴミに出し、シャツをクリーニングに出した。それは今抱えていることを何も解決せやしないが、つかの間の満足感を与えてくれて、少しだけ救われた気になる。でもこんなことができるのは、鬱期のなかでも初期・症状軽微期だけである。

 

去年はそれら症状への対応がわからず(それらの状態に対して症状という呼び方が適切であることすらわからなかった)、1-3月の凡そ2000時間のうち、1000~1400時間くらいは目の前が暗かった。1月の上旬からPCを開くことに抵抗を感じたり、目が滑るようになったり、寝付けず4時に寝て11時に起きてもベッドから動けず涙が止まらないようになった。体調の異変を先生に報告しつつ、卒業制作は3日前になっても1/3しか成果物が作れていなかった。3日間研究室総出で残りを終えていただき、なんとか学位をいただいた。みんなに作業してもらってる間、自分は頭を抱えて泣いていた。全て終わったときには、痩せこけていた。

 

3回目の今年。こんな症状の中でも人間らしい生活を続けていくコツを少しだけつかんだ。早寝早起きをすること、日光を浴びること、三食栄養のある食べ物を食べること、日中は外に出て散歩すること。これらを満たすだけで、だいぶましになる。生産はできないけれど、ふさぎ込む時間を減らすことができる。

とはいえ、8時30に起きて、ベッドから出られず、11時30まで二度寝して、日光を浴びながらゆっくりと朝ごはんを食べる。14時ごろから、少しだけ体を動かしたくなって、散歩にでかける。生産性のかけらもない生活になった。どうにもおかしいし明らかに日常生活に支障をきたしているので、病院に行った。

 

軽度の双極性障害ⅱ型、いわゆる躁鬱らしい。病名であれ自分の状態が判別するのは安心する。最近は頻繁に群馬に帰って親の保護のもとで生活している。入院すら一度もしたことない健康体だったので、親はたいそう心配して、生卵を扱うように自分を扱っていた。母親が医療系の職種で鬱に理解があるのが幸いだった。

 

薬を服用すると、だいぶましになった。とはいえ、1日の稼働時間はまだ5時間程度。とても自分以外のことに手を出せる余裕がない。比較的落ち着いている。鬱期を受け入れられている。鬱期がくるんなら躁期もこんかい、と思うが、見逃しているだけかもしれない。雨期と乾期、愛と憎はセット。それは呪術廻戦。

この時期の過ごし方を大切にしたい、などと思ったら、それは健常期の思考で、今の生き方にふさわしい思考ではない。「時間に生命を与えるより、生命に時間を与えよ」。1分を惜しみ何かを生産しようとするそのほかの時期と違って、今はただ生きる毎日に、時間が付与されていて、そこには何の価値もない、その時間の意味など考えてはいけない、そんな感じ。

それでいいんだよ、そういう日もあるよ。海流にゆられるわかめみたいに、毎日を過ごす日々があってもいい。そう思うことにする。

 

鬱になってよかったことをあげるとするなら、自分と同じような症状を抱えた人が友人の中にも一定数いたことを発見できたことだ。優秀さや客観的な順風満帆さを問わず、同じ弱み、同じ苦しみを抱えていると気づけた。どんなきっかけで綻びが起こるかわからない。

もう一つの良かったことは、ありきたりなのだが、周囲の人の優しさに気づけたことだ。「こんなに辛いのに、こんなに幸せなことはない」僕のある日の日記にはこう記してあった。生きる価値などない、と思う自分をよそに、家族に支えられ、研究室に支えられ、大切な人たちに支えられている。何も生産しなくても生きてていいと思わせてくれる人たちがいるから、途切れそうな命の灯をなんとか春までもたせて、元気になったら恩返しがしたい。


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4月末追記

やっと元気になってきた。手帳を見返してみると、そんな中でもなんとか就活やらの行事を行っていた我が身があったことに気づいた。おかげで今の就職活動の安定があるので、本当によくやったと思う。今年度の目標は

修士論文を出す
 査読通過云々よりは、やはり熱量をこめて書いたものを1本つくりたい。

・コンペ1本出す
 スキルがあがってきたので、1本出したい。過去の自分から成長したぞという意味合いを込めて。

・プロジェクト
 この町でどこまで自分は爪痕を残せるのだろうか、と時々考え込んでしまう。まぁいいや、悩んでいる時間はない。手を動かし、提案しよう。

建築士とる

 デべでの配属ガチャで生き延びるため。将来的にはサブで設計もしてみたいなぁ。

大局としてはだが、来年で社会に出てしまうからこそ、学生のうちにしか取り組めないことに取り組んでいきたい。

ふりかえり_修士1年Aセメ

ふりかえり_2021(9-12月)

 

谷あり山ありな1年だった。1-3月に鬱になったときは人生どうなるんだろうと思った。それすらも受け入れてくれる人に出会えてからは、あるいはその他の様々な機会を通じて、人に頼ることこそ自立と知った。世間が願うような幸せに出会えて、凡人の身ながらこの上ない健康で文化的な生活を送らせていただいている。生きてきた24年の中で、あれ以上の不幸も、今以上の幸せもない、素直にそう思っている1年である。

2021年上半期に関しては以前書いた通りである。下半期について、それぞれの概況。

 

プロジェクト

だんだんと動き出して、また町の具体的な状況も少しずつ見えてきて楽しくなってきた。まち全体の方向性を検討しつつ、具体的な敷地活用も検討しつつ。まち全体として廃墟再生の動きがあり、緩やかな再生の兆しが見え始めている。結局、やりきる誰かの存在が重要であるということを痛いほど認識しつつある。まちづくりだけではなく、ありとあらゆる組織・会社でそうなのかもしれない。どうせ何したって変わり映えのない人生なので、目の前に情熱かけられそうなことあるならそれをやってみるのが手っ取り早いんじゃないか。そうしてゴロゴロと転がっていく人生を楽しんでみたい、転がる岩の動き出しを感じている。

 

研究

結局、都市計画史、みたいなところに落ち着きつつある。偉い人が書いた都市計画図と現在の地理空間状況を比較考察するようなことを行っている。先生と飲んだ時に先生が「(博論は)左手で書いた」みたいなことを言っていて気が楽になった。やはりレポートの延長と捉えて気軽に楽しくやりたいし、実際そう進められそう。2,3手先まで見えていて、あとは手を動かすだけ、という状況はとても心地よい。この2年間で人に頼るということを覚えたのも大きい。実はあと11ヶ月しかないので、逆算してしっかり書き切りたい。

 

就活

基本的に勝ちゲーで負けはないのでその先を見据えたいが、その先がなかなか見えずにいる。わずかにいる、会社と他の行動を両立させている尊敬できる友人たちにもっと会って組織に入ってからの行動の幅の検討をつけつつ、プロジェクトに携わり続けられたらな、そこに自分が所属する組織も巻き込んでいけたらな、という思いがある。
 面接などのテクニカルなスキルに関してはまだ全然練習が足りないので、そこには自覚的になる、ちゃんと練習して極める。それは絶対日頃の自分のコミュニケーションにフィードバックがあると思うので楽しみ。

 

スタジオ

学部の時に身に着けておかなければならなかったスキル回収第2弾。短期だがカタチ重視・アウトプット重視で、デザインスタジオとはかくあるべきと感じた。リサーチの量は結局これくらいが良いのだと思う。ランドスケープ設計はまだまだだけど楽しかったしスキルも上がった。一方で、デザインはやはり職業にはできないという思いを新たにした。ある程度までは到達できるが、根本的な向き不向きのところで向いていない、楽しめないとはっきりわかった。自分の中では建築はあくまで手段として、まち全体をどうつくっていくか、不動産をどう動かしていくか、という方向で考えていきたい。

 

その他

冬季うつ、に近いことがわかった。実際、定期的に体が重くなり、活動量は体感7.5割、追い込みがきかないという点では6割程度になってしまった。若い時期に動けるだけ動いて、40~50代になっていよいよ無理がきかなくなったらその時点で効用最大化するためのポートフォリオを組んでいきたいのに、さすがにまだ何も達成してないしはやすぎる。自分の活動量を考慮して計画していく必要性。

 

 

2022-2024の3年間で27になるまでに、これら4つをどこまで統合できるかが勝負と思う。(28からの3年間でもう一勝負かけて、20代を終えたい)。プロジェクトで携わっている地域を舞台に、研究・スタジオで培った知見を活かしつつ、就職先も巻き込んで、自分が展開していく行動が、自分の20代を形成するように感じている。

 具体的には2024、27歳時点での目標を「地域の廃墟を全て再生し、まちの景観を修復し、観光客数を上昇させる。若い人が入り込み、人・経済・仕事がまわり活気であふれた街になり、地方縮退整備のモデルケースとなる。自分自身も会社に所属しつつ、そのまちに携わり続ける。」としてみたい。そこにたどりつくまでの軌跡は何らかの形で残しておきたい。観光の道でくいっぱぐれることはなさそうである。

 他方で、21世紀にしかできないこと、発展地域・産業に乗っかって産業を興していくのも面白いだろうなぁという思いもある。NFTやブロックチェーン、ARやVR等の流れの中で、実空間だけでなく仮想空間上でも土地の取引や建築設計が行われるようになってきている昨今、実空間の不動産にこだわってビジネスをするのは時代遅れかもしれない、とも思う。

 自分ができることとしては、オンライン空間とオフライン空間の橋渡し、みたいなことを20代の最後、28-30の間でしてみたい。これら新技術による既存価値の逆転、イノベーションのビジネスは、既存の不動産価値をも覆す可能性があると感じている。実空間の土地の価値が相対的に下がっていく中で、今まで限りなく安かった地域が持つ土地の価値が上昇する可能性もある、のではないかとにらんでいる。新産業を取り入れることのメリットは上世代がいないことであるから、自分が軸足をそのあたりにおいて、パイオニアになる面白さはあるかもしれない、それはワクワクしている。

研究室に所属する2年間で得られるスキルセットとしては

  • まちづくりにおけるプロジェクトマネジメント
    PJにて。他の立場の方と日程や意見を調整し、同じ方向に向けて物事(具体的にはmtg、土地取得、事業たちあげ)を動かしていく
  • デザイン
    コンペ・PJ・スタジオ・マガジン等にて。紙面デザインという表現媒体上でものを伝える力、配色、見せ方、等
  • 自説を立てて検証するアウトプットの作法
    研究にて。特定のドメイン(専攻)でこれらを行う最低限のスキル。これは学部では身につかない(学部はその前段階の基礎的な知識を身に着ける段階)
  • 会話によるプレゼン・応答
    就活にて。これからさらに極めたい。
  • 都市・建築まわりの知識

あたりになるだろうと考えている。

2022の3ヶ月ですることは

  • 就活の面接/ES/Webテは全力で練習する。
    (それらは日常の自分にも返ってきそう、楽しみ)
  • 毎日30分研究を行う
  • プロジェクトを進めるうえでの具体的な行動指針を立てる
  • Rhinocerosレンダリングまでばっちりできるようになる
  • (これは3月以降)二級建築士を取得する。(取得後は財務会計の勉強をしたい)

 

逆に2022年しないことは

  • 不用意にTwitterで時間をつぶす
  • 不用意にNetflixで時間をつぶす(これらに代替する趣味を見つけたい、運動?)
  • 遅寝・遅起き(8:30超えていいのは月に4回だけ)

あたりですかね。やることとやらないことを決めれば大丈夫でしょうか。2022も楽しみ!

ふりかえり_修士1年Sセメ

ひっさしぶりにブログを開こうと思って、「だーごのムダばなし」でGoogle検索かけてみたけど検索の箸にも棒にもかからなかった。SEO狙ってるわけじゃないけどちょっと寂しくなった。どうもダーゴです。Twitterも久しくつぶやいてない気がする、自分用メモを兼ねた生存報告。

 

 

4月の目標の振り返り

と言いたいところだが、目標もなにもなかった。立ち直るので精一杯だったらしい。そんなこんなな状態+内部生ワイだけで、不安9割期待1割に胸が膨らんだ大学院生活がスタートした。
 だが人の引きは昔から最強なもので、閉鎖的な環境に外部から5人の新しい風。それも爽やかなパリピ風。苦節4年、ついにコンタクトデビューを果たした。
 

 

セメスターでやったこと

6つを順に。順番は適当。

 

①TA

学びを1度で吸収できるほど優秀ではないので、とてもよい復習になった。総じて楽しかったが、漠然と掲げていた、できない子に手を差し伸べる、はあまり達成できなかったのが残念。自分自身ができない側だったので、そういう子たちの力になれるようなTAでありたかったが、結局はTAに積極的に質問してくれる好奇心旺盛な子のほうの名前を先に覚えてしまうし、オフラインとオンライン併用の授業の中で、その壁も取っ払えないままだったように思う。具体的な戦略まで立てないとだいたいの目標は達成できないまま終わるな~、としみじみ。敷地も変わったし改めて自分でやってみたかったが完全にキャパオーバーし断念。

 

②スタジオ(設計演習)

大学院唯一の授業。グループワークで、なによりチームメンバーに恵まれた。運ゲー勝ち感すらあった。終始楽しく行うことができたし、成果物も気に入っている。チームでの成果物の出し方の模範を経験できた。意思決定の素早さが良かったかな。あとは他学科におともだちができた。

 一方で、将来海外院に進学する可能性を考えると日本の都市計画で学べることは復興かなと漠然と思い履修したが、予習復習が全くできず、復興まわりの知識がほとんど頭に入ってこないまま終わった。それから個人のスキルを活かしてチームのアウトプットを生む、という形だったので、個人としてのスキル上達はそんなになかった。

 

③コンペ

結局セメスター中に3つ出した。おわらせられなかった卒業制作の代理戦争、といってはなんだが、その不完全燃焼をどこかで晴らしたいという気持ちが少なからずあり、それもあってかコンペの種類問わず誘われるがままに出た。インプットの足りなさをいやというほど自覚したので、図面トレース・PJに立ち戻りたいと感じた。その先で、もう1年半ある中で、1つか2つ出せたら満足かな。Adobeはだいぶ使い慣れてきた(反動でパワポがやりにくくてしょうがない)。実際に経験することでコンペの性質や向き不向き、自分の素直な実力など、いろいろわかったし、出てよかったと素直に思う。

 コンペの性質上コスパが悪いなと思うものに入賞を狙いこんでいく気概が足りなかったのは反省。研究室同期も入賞していたし、悔しい限り。あと忙しくて終始チームメンバーには迷惑をかけてばかりだったのもとてもよくなかった、反省。

 

④プロジェクト(=研究室が外部と提携して行うまちづくり活動)

全くできなかった。てんでダメ。なんというかalways暗中模索。方向性が見えなかったしいつも手探りで自分が何やってるかがわからなかった。海で迷子になって行く当てもない船をこぎ続けた感覚。最近は多少ましになってきた、迷惑のかけかたがすごかった、、、。
 一方で、学び甲斐も一番あった。特に①チームで物事を進める方法②クライアント視点で成果物を考える③全体を俯瞰しながら目の前の作業に集中する、あたりはいつも考えさせられた。スタジオとは比べ物にならない難しさは、成果物の多さ、人数の多さ、メンバーの多様さ?から生じている、、、のだろうか(要検討)。

 学生は学ぶ立場である、と思う一方、典型的な学生への労働搾取を目の当たりにしている、気もする。

 

⑤就活

設計事務所たてて独立するか大手に行くかの2択。結局後者。デべ専願でサマー1/5。終わってみて友達に面接練習をしてもらったら改善点が無限にあって、落ちて当然、と思った。だいたい行きたいところも見えてきたので、他の業界も少し見てみることにしようと思う。

 

⑥研究

言及するほどやってない。

 

総括/雑感

修士課程に進んだからといって偉くも強くもなれるはずもなく、学部の頃サボったツケを回収した日々だった。自分に足りなかったスキルを磨く時間をお金で買っている感じ。研究が進めばランドスケープ史にはそこそこ詳しくなり、少しは"修士卒"らしさが出てきそうではある。

 就職するために大学(院)に通ってるわけではないが、学ぶために大学に行っているかというとそれもまた違う気がする。PJが活動の中心にある幣研究室にいるからかもしれないが、お金以外で学生と社会人の境目がどこにあるのか、わからなくなってきている。

 やってることは6つのどれでも変わらない。上位計画から分析、提案までつなげること。そのうえでとにかく目の前の手を動かすこと。

 学部卒に求められる資質と院卒に求められる資質がわかってきた。だからなにってこともないけど、人生長いし、両方経験してもいいんじゃないでしょうか。

 

 

今後の目標、方向性

長期

大まかには、みんなが幸せに生きていく環境をつくれたらいいな、と。そこに対して建築/ランドスケープ・都市計画・不動産、という立場からアプローチできたらいいな、と。そのうえで、大学で設計を学んで、少しばかりランドスケープに詳しくなって、社会人になってからは不動産を学ぶ、というざっくばらんな方向性でいければいいな、と。設計みたいな理系的スキルは大学でしか学べないけど、不動産は後から学べるみたいなので。

 ただやっぱ若いうちに何かつくってみたいんだな。んで、やっぱ家建ててみたいですな。図面かいてみたいし、面白そうな不動産とかかわる機会があったら手を出してみたい。

 

短期

夏休み:PJ(8月)、9月は図面トレース、ランドスケープ史。研究と就活を少し。

秋セメ:研究、就活、スタジオ、PJ。

 

 最後に

先週ギックリ腰ならぬギックリ肩になって2日間ほどガチの寝たきりを経験した。ギックリ腰と全く同じ発症原理の痛みが頸椎―背中に起きているらしい。なるほどギックリ腰が動けないわけだ。今もまだ肩が痛い。もし文章全体が根暗で元気ないなと思ったら、たぶんこれが原因。昔、人生でこれが大事だトップ3みたいなのを見て、ほぼ30%ずつでお金・家族友人・健康とあった。それ見たときは健康がしっくりこなかったけど、今はめちゃめちゃわかる。

 よく言えば地に足着いてきた、悪く言えば夢がなくなってきた。もう少しぶっ飛ばしてもいい気がする。

 まじで文章全体が駄文になっちゃったけどまぁいっか。

メモ、思考の整理

最近めっちゃたるんでる気がするので近況とやりたいこととやるべきことの整理。卒制はまた別

 

5-8月

建築家になって美に情熱を賭ける人生を歩みたいなと思っていた。院試と設計事務所のバイトで過ぎていく日々、めっちゃよかった。

 

9-10月

たるんだなぁ。理由は以下

・院試終わりの環境変化

 別に院試で燃え尽きたわけではなく卒業設計が忙しいだろうなと思って群馬から東京に来てできるだけ暇にしていたらただの暇人になった

設計事務所バイトやめた

そこで考えたことから次のステップに行けてないな、やりたいことはさっさと行動に移すべきなんよな。

 

 

最近したいこと・興味あること

(それぞれを深堀るために、独学!とか本を読む!とかだと曖昧すぎて結局やらんかったのでもうちょい詳しく目標立てるかそういうのを学べるバイトやコミュニティを→の先には書く)

 

・建築設計側のサポート

 建築は美しい。世界に建っていく美しい建物はどれも120%の努力と携わった人々がいて本当にかっこいい(美とかについて語ると話それるのでここでは割愛)。自分が作り手になってそんな世界に没頭するのはまじで最高なのは間違いないし、センスがどうこう言われようと頑張り続ければそれで食っていけるくらいはいけるかもしれない。

 が、事務所に少し入ってみてそんな素敵な業界を取り巻く厳しい現実もいろいろ見えてきた。偏見や思い込みも混じってるかもしれないけどとりあえず思いつく限りあげてみると、コンペ制度にかかるコストや談合などの話、一つの建築ができるのに携わるファクターの多さからくる資本分配の不平等と非効率性、施工時の部材調達ってどうなってんのや、よりスケールの小さい話ではオープンデスクの無給問題などが、ネガティブな現実としてあるのかなと思った。

 そんなわけで、上記の問題の詳細を知ること/解決すること、換言すると素敵な人たちが素敵な設計を続けられるような環境を設計することに興味が出てきた。ただ問題が根深いほど個人で変えるのは不可能で、そういう意味で大きなパワーで大きなことを成し遂げられるゼネコンなんかに今は興味があったりするが、じゃあ学生時代のうちに何しよう、という話で、設計が嫌いになったわけではないが自分の興味関心の中心は上記の解決にあるので、なんとなく設計事務所への応募も以前ほど気が乗らず、できていない。企業に入らないと問題は見えてこないのではないか、という思い込みもあったけどただの言い訳やな。とりあえず日経アーキテクチャーは読み漁ろう。

→どこか良いバイト先ないかなぁ、ゼネコン、工務店、施工会社、そのほか

・都市デザインと行政改革

小布施に行ったら都市デザインが力強かった。というかそれだけじゃなくて小布施町のいろいろが力強かった。行政が強いとまちもここまで強くなるんやな、という小並感。建築に傾倒してた自分としては都市デザインの美しさは良い衝撃だった。そこでスマートシティや次世代のまちのあり方を推進している方とお会いする機会もあって、話聞いたらめっちゃワクワクした。

→??????

・社会全体

建築業界に少し足を突っ込んだらいろいろ見えてきて社会には解決すべき問題がいろいろあるんだろうなと思った。

→公共機関/国際機関に行ってみるのはありかなと思った。なんというか、個人や一企業の視座ではなく社会全体を見渡せる視座でやってるところがいいなというかんじ。学生で時間を割くのならやっぱり建築・都市分野だとなお良しかなぁ

・クリエイティブな職能

プレゼンボードを作り込もうと思ったら時間が溶ける溶ける溶ける。配置、配色、人の目に美しく見せることがこんなに難しいとは。今日はあまりに卒制に気分が乗らないので鬼滅の無限列車編を見てきたけど、音楽ひとつ、一瞬一瞬のコマに現れる雲一つ陰影のつき方一つ、カラーパレットで雰囲気を伝える彩度明度の調整、どれも隙のない完成度で惚れ惚れしてしまう。そういう意味で映画の前宣とか最後のエンドロールでufotableという総合映像プロアクションの文字面がやたら現れて主張が強かったけど、それは良いことで、素敵な技術を持っている会社はそれなりに主張すべきだと思う。時々あ、この建物いいな絶対誰かが設計したなと思ってネットで調べても設計者が出てこなくて勝手に残念がる時があるが、やはり良いものを作った人作れる人はそれなりに知られて良いと思う。

 話がそれたけど、配色とか視認性とか動画とかそんなあたりに興味があってその辺は卒制に必要とかっていうより個人的な興味から、もっとしっかり学んでみたい。

→アニメーション制作会社やデザイン系の会社で働いてみたい

 

 雑感書き出してみるとこんな感じか、

やりたいことを選べる環境の真っ只中に置かれているとそのありがたみがわからなくなるけど冷静に自由を謳歌しすぎてるな、動かないのがもったいなさすぎる、ちょっと前は建築家になりたいって言ってたのにポケモンで殿堂入りしたらすぐ飽きる時からなんも変わらない飽き性で笑ってるけど動かないと何も変わらんしわからんもんな、

 残り2年半の大学生活、目の前のやってみたいことをやり続けたい、わからんなんか4ヶ月に1回くる全細胞レベルの活性化きてて怠惰な日々を反省した、以上!

ふりかえりー3年後半

 建築/デザインとの距離感を掴めず、かといって他にやりたいこともなく、目標が曖昧なまま始まったAセメスター。良くも悪くも、個人主義を貫き食指が動くままにやりたいことに手をつけてみました。その1つ1つの学びにフットワークを軽く、かつアウトプットを意識したことで僕個人のスキル・領域は大きく広がった、ように思います。

 ただ、その中での反省点が2つほどありました。1つは成果を焦りすぎたことです。焦ると短期間で何かを得ようとしてしまうのだけれど、「短期間で得られる何か」が大きいものであるはずがありません。その成果物に自信をなくして見切りをつけるのが早くなったり、他のことにすぐに目移りしてしまったりしてしまう、といったことがあったように思います。自分がやっていることを信じ続け努力し続けること、その尊さを今一度身をもって知る必要があると感じました。

 2つめは、個人主義の限界を悟ったことです。僕ができることは確かに広がったけれど、上記とはまた別に、その小ささに虚無感を覚えました。自分は何も作り出せない、何も社会に貢献できていない。アウトプット=価値とは限らないし、価値創出なき努力に意味はない、そんな帰結にたどり着きました。充実感でみなぎっていたセメスターに対して終わってから虚無感を感じるのは、それはそれで1つの成長と見るべきでしょう。

 

 余談ですが、そのような「やりたいことをやりたいままに」という態度は、そのものが社会的?本能的?に極めて健全な態度であると、1年間を通して感じました。これにはおそらく2つほど理由があって、1つめはやりたいことをし続けると、自然と自分の本当にやりたいことが残るからです。自分の場合、プログラマーやネット関連への憧憬は一切なくなりました。やっぱり人が生きるということ、住むということ、そこが僕の興味範囲でありライフワークにしていきたい範疇なので、そこに向き合い続けようと思いました。2つめは、人間は多かれ少なかれ同じ欲望のライフステージを登っていると感じるからです。飽くなき(知的)好奇心もそうですが、もう少し本能的な、お金稼ぎたい、モテたい、遊びたい、なども多分同じで、そんな欲望を叶えるとまた次の欲が芽生えることは人間的に極めて健全であると考えます。だから今手に入れたい何かがあるならそれは必死こいて手に入れるか、完全に忘れるか、のどちらかにすべきです。中途半端にして感情に蓋をするのは健全ではないと考えます。

 

 閑話休題。虚無を経験すると、人に求められる歓びがわかります。2019年後半ではその気づきを言語化できつつあったのに、学科のグループワークなどで全く活かせなかったのは大きな反省点です。ただ、論点をずらすわけではないのですが、東京に出てからはや3年、資本主義・効率至上主義のルールが頭にこびりついてしまったように感じて、報酬の出ない努力をコスパが悪いだとか時間の無駄だとか考えてしまう自分がいました。畢竟、大学生が得られる報酬など紙切れに換算しようというのがナンセンスですね。人生を全力で生きて、他人に貢献し価値を創出し、その結果として周囲の人間や市場が評価してくれたら最高です。

 

 そんなわけで、来年度のキーワードは、「個人で何かに没頭し圧倒的な成果を出す」or「チームワークで社会に貢献する」です。大学も3年間終わり、折り返し地点に到達しました。周囲が続々と働き始める中、若さという最強のエネルギー源泉をぐうたら学生として浪費するわけにはいきません。思考に耽るのをやめろ、競争の中に身を置け。牧歌的な幻想から抜け出せ、手を動かせ足を動かせ。そんな感じで進んでいきます。

 

 とはいえ、これを書いている自分は今、コロナウイルスの影響で留学が全て取り消しになり、 完全な迷走状態の真っ只中にあります。先の話を持ち出せば、「世界中を旅していろんな都市を見てみたい」という欲求が完全にへし折られてしまったわけですから、不完全燃焼もいいところです。が、今の心境はまた別の記事で整理しようと思います。

 

 毎年毎年、こんな自分と関わってくれる人間には本当に感謝しかないです。つくづく、人い恵まれているなぁと思うのです。そんな人に還元できる人間になろうと思います。来年度もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

ダンス歴5時間のぼくがいっちょまえにダンスを語ってみた

突然ですが、留学といえば?

そう、

 

「ダンス」

 

ですよね。合ってた人はぼくと友達になれます。おめでとう。

やっぱほら、コミュニケーションって言葉だけじゃないじゃないですか。英語伝わんなくたって中国語伝わんなくたって、最悪スマイルとジェスチャーで伝えればいいし、ダンスできれば俺の熱いハートもきっと誰かに届くはず。

そう思うは必定、届け愛情、世は無常。

 

って、僕が始めたのはラップダンスじゃなくて。

 

「バチャータ」

というダンス。とりあえずどんなものか見てみると、こんな感じ

www.youtube.com

 

ラテン系の踊りで、「サルサ」の親戚らしいです。ダンスとは22年縁がなかった自分ですが、それでもかろうじてサルサは聞いたことありましたわ、えぇ。

 

ところでみんな思ったことでしょう。

🙍‍♂️🤯🤢🙎‍♀️「お前がこれやってんのwwwwwwwwwwwwwww」

 

まぁ、わかるよ(笑)俺もそう思いますもん。

いや、なぜよりにもよってこれになったかというとですね、単純で、友達と話してて

僕「留学行く前に、1回ダンスやってみたいんだよね〜」

友「あたしいまバチャータっていうダンスの教室通ってて、今度そこで初心者向けのバチャータのイベントするんだけど、くる?」

とお誘いを頂いたからです。世の中ご縁で広がる世界。

 

 

そんなわけでですね、今回はダンスについて語ります!!

 

 

 

1、バチャータとはなんぞや???

まずは改めて、バチャータの紹介です。

ラテン系の踊りであると先ほど言いましたが、もうちょっと具体的にいうと、バチャータのダンスとしての特徴は

  • 男女ペアで踊る
  • ヒップホップ的なキレはないけど、なめらかでリズミカル

あたりにあると思います。大学の文化祭で踊るダンスみたく決まっているものではなく、イメージで言うと社交ダンスだよ〜っていうと、比較的よく伝わる気がします。

 

それにしてもダンスのダの字も知らなかったワイ。いや、それはさすがに盛ったな。

俺もダンス踊ったことがないわけじゃない。高校の時文化祭の出し物で踊るためにみんなで練習してたわ、そしたら俺ヘタすぎて一番うまいヤツ(仲良かった友達)にガチ説教くらったな、懐かしい。ちなみに踊った曲は乃木坂46おいでシャンプー」。これを男子校で踊る地獄絵図、僕らの青春。 

 

話がそれた。何にせよ、サルサどころか、猿回しのサルよか踊れない自分はダンス、とりわけペアダンスに対していくつか偏見がありました。以下、それを解消する形でもうちょっとバチャータの紹介をしてみようと思います。

 

 

2、ペアダンスへの偏見が解けたよ

全世界のペアダンス未経験者の鬱屈とした偏見を、今ここで代弁してみましょう。

ざっとこんな感じではないでしょうか。

  • 俺がペアダンスやったら、距離の近さに緊張して固まる説
    あの距離感、見てて羨ましいですよね。それな。
  • ペアダンスやってる男、みんな下心しかない説
    弊大学でも社交ダンスのサークルとかあるらしいですが僕そこに入ってる男子みんなこれだと思ってます。
  • ペアダンスやってる女子、みんなかわいい説
    独断と偏見に基づく当社調べ。

  

さて、これらの偏見がどう変わったのか?

 

 

  1. ペアダンスやってる俺、距離の近さに緊張して固まる説

→否。

 

意外ですね。自分でも意外でした。なんというか、ダンスやってる時って、その世界の距離感があって、その中にいると普段からすれば近い距離感も至極自然なように感じられるんです。だから、顔どうしの距離が30cmとか、時には20cmくらいになるんですけど、全然その類の緊張は起こしませんでした。不思議。

 ただ、シンプルに僕が下手すぎて、体が硬いのは合ってました。

 

 

2.ペアダンスやってる男、みんな下心しかない説

→否。

 

これも意外でした。てか、むしろ真逆でした。バチャータって、先ほども述べたようにペアダンスなんですけど、片方がリーダー、もう片方がフォロワーという明確な役割分担があります(基本的に、リーダーが男性で、フォロワーが女性)。そして、ただ音楽に乗るダンスで、譜面のようなものはなく、ダンスの進行は完全にリーダーがリードします。どういうことかというと、例えば、女性がクルっと1回転するワンシーンを思い浮かべてみてください。あれは女性が自分の好きなタイミングで回るのではなく、男性がリズムに合わせて女性の手を上に持ち上げながら回し、女性に「回ってね!」という合図を女性が受け取って、女性が回っています。つまり、男性は常に女性をリードし、女性に対するジェントルマンな姿勢が求められます。相手への配慮も、手の握り方や目の合わせ方など、まさにノンバーバルなところで伝わっていきます。日常生活への示唆に富んでいることのまぁ豊富なこと。

あと下心に関して言うと女性は触られ方というか、男性の支え方から下心の有無はわかるそうです。それは僕ら男性陣からもわかる気がします。普通に踊ってれば、誤解を招くことはありません。

 

 

  1. ペアダンスやってる女子、みんなかわいい説

→正。

 

うーん、正しいものは正しいからそれ以上言うこともなくね?と思いつつ一応補足。さっきのyoutubeとかみてもらえればわかると思うんですけど、なんつーか、なめらかなんですよね。古代から身体美ってダヴィデ像だったりあるいは黄金比なんて言葉があったり色々あると思うんですけど、あのなめらかなダンスの中で演出されるボディラインの美しさがすごい。ただこれもとても不思議なんだけど、例えば腰がちょっと浮いていたり、ペアの歩幅がずれていたりするとやっぱりどこかでそれが崩れるんです。そんな絶妙な綱渡りの中に美があるんですね。ダンスや身体だけじゃなくて、音楽とかファッションも、たぶん。

 

 

どうやって偏見が解けたか語ったらだいぶ長くなってしまった笑。

とにかくそんなわけで初心者向けのダンスイベントにカチコチになりながらも参加し、そして優しい講師さんたちに調子に乗せられ(僕は基本そのあたりがゆるゆるでチョロい)、爆発的にハマってしまいました。ご縁あって練習にも参加させていただき、イベント3時間+練習1時間*2回を経て、この文章を書いています。ダンス歴5時間。わろた。

 

とまぁ、いっちょまえにダンスを語ってみました。もうちょっとたくさん練習してから始めても良かったんですけど、0から1になった今の状態でしか感じられない・考えられないこともあるよなぁと思いこのタイミングで言葉にしてみました。スッカスカですね笑。

 

でもブログっていいですね、書いてて楽しかったです。

 

 

 

**僕のヘタクソダンスに付き合ってくださってる方々にはこの場でお礼申し上げます。本当に、ダンス教室で知り合ったみなさん、こんな自分を優しく迎え入れてくれてめっちゃ感謝してます!!**

 

 

ふりかえりー3年夏休み

夏休みは、大きく2つのことを行なったので以下それぞれ感想をば。


1、 大学生観光まちづくりコンテスト
2、 UGIP
3、 その他

 

1、 大学生観光まちづくりコンテスト
 5月末に友達から誘いを受けひょんなことから結成し、なんやかんや4ヶ月間も熱中していた。締め切りの5日前に誘いを受けた自分と誘ってくれた彼しかいない状況から、他の3名のメンバーや指導教員を集められたのは控えめに言って奇跡。
 6,7月は毎週1回のミーティング。8月の頭にフィールドワークを行い、その後1週間は東京駅のタリーズにこもって休憩しつつ10時間くらい作業した。
 ノウハウがゼロだったので、過去の優勝例を徹底的に研究した。どういう見せ方がどの評価基準にウケていたのか、スライドの流れや論理性は一貫しているか、テーマごとのページ配分はどうか、スライドのデザインは見やすくなっているか、なぜそれは見やすいのか、審査員は誰でどんな経歴か、するとどんな発言がウケそうか、などをひたすら話し合い、自分たちの作品にそれらをどのように当てはめられるか考えた。みんなの知識を同期しながら1つの成果物に落とし込むのは相当な時間と手間が必要だった。
 132チームの中から10チームの予選通過者が選ばれ、その後決勝プレゼンで順位を決める形式だった。ファイナリストに選ばれた時はめちゃめちゃ嬉しかったが、僕らはハナから本気で優勝を狙っていたから予選通過は想定内。ここで満足しない。絶対に勝つ。そう言い切れるくらいにやり切った。最後のプレゼンも、みんなの時間がなかなか合わなかったが、過去大会のyoutubeをもとに10分の中でどれくらいの情報量を載せていくのか、パフォーマンスはどの程度行われているか、セクションごとの時間配分は、などなど検討し練習した。
 結果は優勝だった。さらに聴衆投票によるオーディエンス賞もいただけた。僕らのチームが呼ばれた時は、大学生になって初めて嬉し泣きした。それくらい本気でやってきたし上記のような努力が実を結んだのが素直に嬉しかった。勝負ごとで、久しぶりに他者の視線や意識が気に留まらなくなるゾーン状態に入れた気がするし、優勝を取ることができなかった古豪チームが良い順位でも悔し涙を流しているのを見て、それほどまでに他のチームが本気でやってきて、お互い顔は見たことなくとも真剣勝負ができたのだなと思うとなんだかその涙すら嬉しかった。

学んだものも多かった。
 1つめ。個人の特性を把握し、それを強みとして最大限発揮させることは、コンテストのような短期決戦ではめちゃ重要だということ。今回でいえば、我らのリーダーはみんなの意見を吸い上げられること、そしてテニサー仕込みのトーク力で一緒にいて飽きさせない、真面目させすぎない空気を作っていた点で神がかってたと思うし、2ヶ月間かそれ以上学科と両立させながら、夏休みもたくさんの時間を拘束されても全然辛くなかったのは彼がつくった雰囲気のおかげだと思う。自分がリーダーだったらきっとメンバーに負担を強いてパンクさせるだろうなぁと思った。他のメンバーに関してもいろいろ言えるが、割愛。
 2つめ。プランとしての具体性や現実性と、コンテストで勝てるかどうかは少し違うベクトルのものであること。コンテストにはコツがあるというが、平たく言えばインプットとアウトプットの量と配分が大事なのだな、と。特にそれまでの自分に足りなかったのは、アウトプットというか、人に伝えるという意識である。清澄白河演習の前にやっていたらなぁ、という思いがなくはないが、今学べてよかった。
 3つめ。慣れない戦いをするときは、まずは戦略ないし方法論に徹し抜いて考えることの重要性。目的と方法を立てて、実施を決行した以上、それについて躊躇ってはいけない(それでも徹し切るのは難しい)。しかも複数メンバーとなると当然ながらもっと難しくて、共同作業を進める上でどの手順で何をするか、はめちゃくちゃ重要だなと感じた。中身を固定した後にデザインを練るのは当たり前だし、変な頭の使い方をして仕事を増やさないようにすることも極めて大事だと感じた。
 チームメンバー、フィールドワーク先の協力者、すべての人に感謝です。出会いから終わりまで、全部が最高の思い出になりました。


2、 UGIP
UTokyo Global Internship Program の略で、要は大学と企業(ダイキン工業株式会社)が提携し大学のプログラムとして行う海外インターンである。これに8月下旬から9月中頃まで参加した。プログラム自体は15日間だったが、事前リサーチは同じく6月から行ってきた。自分のチームが4人で、自分が最高学年だったためリーダーを引き受けることになったのだが、これも学んだことを順に記す。
1、 民間企業から社会を眺める
これが今回参加した一番の理由だった。結論から言えばこのインターンを選択したのは本当に正解で、2週間みっちり色々な人と話す機会があってとても参考になった。大学の授業に固執することなく幅広く学んで行いこうという視座を身に着けることができた。
2、 リーダーとして
こんなポンコツだがリーダーなるものを引き受けてしまった以上、みんなの面倒を見なければいけない。リーダー論なるもの、世にたくさんありそうだが、自分が一番痛感したのは自分はリーダーに求められるものの中で、「集団の代表として意思決定をする」点が何より足りないのかなぁと感じた。
 だめだ、こっちの記憶が薄れてきて全然書けない。またいつか補強します。

3、 その他
・夏の3つめとして、学科同期で四国観光に行った。幹事を途中で脱退してしまい丸投げ状態になってしまったのだが、もう一人が天才だったので助かった。ありがたやありがたや。楽しかった的小並感を除いてこの旅行から内省するなら、1つは「所属してるコミュニティの数が少ないので、自分が所属するところは大切にしたいなと思った」ことと、2つめは「なんだかんだ企画とかコミュニティデザインとかいう言葉に惹かれ続けているし、そういう作業が好きかもしれないので、気が向いたらちらほらやっていきたい」ってことでしょうか。

・文章を読むのはずっと好きだったが、書くことにもハマってしまった。6月頃に小さなエッセイコンテストに出したのだが、3等入選をいただけた。自己肯定感爆上がりして以来ちまちま続けてしまっている。自分で言葉の調子を整えリズムや雰囲気をつくり、その文章の上に相手の思考を操作する、こんな文章を書いたら相手の脳内にどんな風景が立ち上がるだろうか、とか考えながら書くのがとても楽しい。

・そんな感じで夏休みは課外活動の調子がすこぶる良く、精神安定的にもよろしかった。自己肯定感皆無で一時期どん底だった自分が実績で結果にこだわるのはそれを一定に保てるという点でも意義あるものと思った。自分は頭こそ固く視野も狭いけど、意志は強いほうで、1回やると言ったものは多少のストレスがかかってもやり切れる根性はあるっぽいこともわかってきた。「やればできる」とはいうが、本気で時間割けば大抵のことはできるかもしれない、と思い、大きな自信になった。ただそのスイッチは自分の中で「これだ!」と思わないと入らない。

 コンペ、コンテストは賞金とか順位とかわかりやすい目標があってスイッチが入りやすいのかもしれない。だからやっぱり、自分が没入できる、楽しいと思える環境づくりをすること、そして一度ハマった際には、「絶対やる!勝つ!俺が絶対勝つ!」を頭の中で連呼しながら没入していくので、そういう強い感情と勝負に勝つための論理をはっきり分けることが、個人的には重要かなと感じた。
 闇雲に手を出してしまう傾向がある自分だが、どうせ1つに絞ろうとしても無理だろうから、今のまま興味の赴くまま色々やっていきたい。

 いくつか課外活動をするにあたって、今まで会ったことのなかった人と話す機会が多少増えたが、「書物は人を博学にするが、決してひとかどの人間にはしない」の真理さに気づいて震える日々。もちろんひとかどの人間に学がないと言ってるのではなく、今まで頭でっかちになりかけていた自分の方向性の舵取りにもっと気をつけようと思った。


Aセメへの抱負はまた今度。