ふりかえり_修士1年冬休み

 

1-3月は鬱期らしい、と感じるようになったのは2年前からである。が、その前からこの時期は弱かったかもしれない。受験生の時もセンター試験1週間前に乳首にしこりができた。ある日いつものように昼寝をしようと地面にうつ伏せになったら、乳首の奥に馴染みのないこりこりした触感があり、気になって寝られなかった。それがしこりと呼ぶものとわかったのも後日だった。レントゲンやCTスキャンで撮影されても異常は見受けられず、3~4月にそっと消えた。

 

薬を服用する前の症状はといえば、頭が思うように働かない、着手すればいいとわかっているものに手が付けられない、関係ない方向に思考が向く、思考回路は突然切れてシャットダウンする。人と話すのが億劫、体温が低い、寝るというより昏睡する、など。1日の睡眠時間は10-11時間で、1日の稼働時間は0-3時間。ずっと、「生きる理由もないけど死ぬ理由もないからとりあえず死ななくていいか」と思っている。そう思っているときはましで、少し気分が死に近づくときもあるが、今年は幸い希死念慮には至っていない。去年はあった。

 頭が働かない、というのは、例えば、「明日インターンがある」「そろそろシャツをクリーニングに出したい」と思っていた時に、それらをつなげて「インターン後にシャツをクリーニングに出そう」と本来ならなるべきところ、個別にしか対応できず、シャツを出してからインターンがあることに気づき慌てふためいてしまう、といったことなどだ。認知症にも近いような状態と感じている。先のことが考えられなかったり、すぐにものを失くしたり、この程度のことを構造化して考えられなくなる。

 これらは環境によっても左右される。家や研究室にいると息苦しくなり、頭を抱えて目の前を暗くするか逃げるように眠りにつくかしかできなくなる。外に出て散歩をすると、多少ましになって、頭が少しだけ働くようになる、時もある。

 

鬱期手前である11-12月は、また少し違った。集中力はないが、時間に対するコスト意識などはあるから、空白の時間を埋めるように、家事や日頃しなかったことをこなす。この前は部屋中からホコリを取り、シンクをきれいにして、衝動買い後半年間開けてなかったkindle paperwhite開封し、半年間出しそびれていた机を粗大ゴミに出し、シャツをクリーニングに出した。それは今抱えていることを何も解決せやしないが、つかの間の満足感を与えてくれて、少しだけ救われた気になる。でもこんなことができるのは、鬱期のなかでも初期・症状軽微期だけである。

 

去年はそれら症状への対応がわからず(それらの状態に対して症状という呼び方が適切であることすらわからなかった)、1-3月の凡そ2000時間のうち、1000~1400時間くらいは目の前が暗かった。1月の上旬からPCを開くことに抵抗を感じたり、目が滑るようになったり、寝付けず4時に寝て11時に起きてもベッドから動けず涙が止まらないようになった。体調の異変を先生に報告しつつ、卒業制作は3日前になっても1/3しか成果物が作れていなかった。3日間研究室総出で残りを終えていただき、なんとか学位をいただいた。みんなに作業してもらってる間、自分は頭を抱えて泣いていた。全て終わったときには、痩せこけていた。

 

3回目の今年。こんな症状の中でも人間らしい生活を続けていくコツを少しだけつかんだ。早寝早起きをすること、日光を浴びること、三食栄養のある食べ物を食べること、日中は外に出て散歩すること。これらを満たすだけで、だいぶましになる。生産はできないけれど、ふさぎ込む時間を減らすことができる。

とはいえ、8時30に起きて、ベッドから出られず、11時30まで二度寝して、日光を浴びながらゆっくりと朝ごはんを食べる。14時ごろから、少しだけ体を動かしたくなって、散歩にでかける。生産性のかけらもない生活になった。どうにもおかしいし明らかに日常生活に支障をきたしているので、病院に行った。

 

軽度の双極性障害ⅱ型、いわゆる躁鬱らしい。病名であれ自分の状態が判別するのは安心する。最近は頻繁に群馬に帰って親の保護のもとで生活している。入院すら一度もしたことない健康体だったので、親はたいそう心配して、生卵を扱うように自分を扱っていた。母親が医療系の職種で鬱に理解があるのが幸いだった。

 

薬を服用すると、だいぶましになった。とはいえ、1日の稼働時間はまだ5時間程度。とても自分以外のことに手を出せる余裕がない。比較的落ち着いている。鬱期を受け入れられている。鬱期がくるんなら躁期もこんかい、と思うが、見逃しているだけかもしれない。雨期と乾期、愛と憎はセット。それは呪術廻戦。

この時期の過ごし方を大切にしたい、などと思ったら、それは健常期の思考で、今の生き方にふさわしい思考ではない。「時間に生命を与えるより、生命に時間を与えよ」。1分を惜しみ何かを生産しようとするそのほかの時期と違って、今はただ生きる毎日に、時間が付与されていて、そこには何の価値もない、その時間の意味など考えてはいけない、そんな感じ。

それでいいんだよ、そういう日もあるよ。海流にゆられるわかめみたいに、毎日を過ごす日々があってもいい。そう思うことにする。

 

鬱になってよかったことをあげるとするなら、自分と同じような症状を抱えた人が友人の中にも一定数いたことを発見できたことだ。優秀さや客観的な順風満帆さを問わず、同じ弱み、同じ苦しみを抱えていると気づけた。どんなきっかけで綻びが起こるかわからない。

もう一つの良かったことは、ありきたりなのだが、周囲の人の優しさに気づけたことだ。「こんなに辛いのに、こんなに幸せなことはない」僕のある日の日記にはこう記してあった。生きる価値などない、と思う自分をよそに、家族に支えられ、研究室に支えられ、大切な人たちに支えられている。何も生産しなくても生きてていいと思わせてくれる人たちがいるから、途切れそうな命の灯をなんとか春までもたせて、元気になったら恩返しがしたい。


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4月末追記

やっと元気になってきた。手帳を見返してみると、そんな中でもなんとか就活やらの行事を行っていた我が身があったことに気づいた。おかげで今の就職活動の安定があるので、本当によくやったと思う。今年度の目標は

修士論文を出す
 査読通過云々よりは、やはり熱量をこめて書いたものを1本つくりたい。

・コンペ1本出す
 スキルがあがってきたので、1本出したい。過去の自分から成長したぞという意味合いを込めて。

・プロジェクト
 この町でどこまで自分は爪痕を残せるのだろうか、と時々考え込んでしまう。まぁいいや、悩んでいる時間はない。手を動かし、提案しよう。

建築士とる

 デべでの配属ガチャで生き延びるため。将来的にはサブで設計もしてみたいなぁ。

大局としてはだが、来年で社会に出てしまうからこそ、学生のうちにしか取り組めないことに取り組んでいきたい。