ふりかえりー1年前半

ご無沙汰しております。入学してから半年が過ぎようとしています。タイミングは謎ですが、近況報告でもしようかと思います。といっても、近況報告するにはあまりに溜め込みすぎて自分でも整理がついていないのですが、だからこそ、と筆をとった次第です。

「足元を固めよ」
いきなりどうしたと言われるかもしれませんが、これが僕がSセメで得た結論です。
 入学以来、溢れんばかりの”破格”が耳朶を搏ち、自分が”後発組”であることを改めて自覚しました。周囲を見渡してもありえん優秀な人がゴロゴロいて、その中で自分が提供できる価値に悩んだり、彼らに追いつこうとして歩幅を変えようとして空回りしたり、いろいろなことに手を出して地に足着かなくなったりなどして迷走したSセメでした。
 ですが一歩引いて冷静になって考えてみると、今の自分が焦ったところで何一つ成せることはありません。基本的に要領が悪く何事も習得に人より時間がかかる性分な上、今まで蓄積してきた中に特筆できる何かがあるわけでもない。
 ならば今は、教養期間であることもわきまえながら、雌伏の時と心得て、進むべき方途を探したり寄り道をしたりするべし、と。燻る想いを爆発させるのは今である必要はない、と。サラッと書き終えましたがここに至るまでの紆余曲折は自分の中では長いもので、激動の4ヶ月の中でこの結論が得られたことにある種の達成感と安堵を感じています。

 じゃあ足元を固めるって具体的に何?その問いをどこまで自分の中で言葉に落とし込み具現化できるかが夏休みの課題でした。 夏は大学入学以来没入していたTwitterを停止しSNSの通知音から隔絶される(時々長期放置、ご迷惑をおかけしました)喜びを知るとともに様々な目的でいろいろなところへ出掛けていました。学生会議で海外大学生に喝破されると同時に彼らとフレンズになったり、初めて一人で旅行に出掛けてみたり、人と会って話しまくって脳がはちきれそうになったりただダベリまくったり。
 未知の体験だらけの中で一つ感じたことがあります:どんなに濃密な経験をしても、その内容を自分の中に蓄積/咀嚼できないようではまるで空虚である、ということ。大事なのは自分の行動に自分がどんな意味づけを与えられるかということ。例えるなら、同じ坂を下る玉でも丸さによって転がる速度が違うような、、、(伝わってる?)内面、教養、芯みたいなものが全然足りないな、と強く思いました。
 中身から固めていくこと。坂の緩急じゃなくて、自分自身の玉の丸さに重きを置いて磨きをかけること。知識を固めること。興味の赴くままに学びたいことをのびのびと学ぶこと。敷衍すれば、地に足着いた毎日を堂々と過ごすこと。そんな点に想いを馳せることができた夏だったのではと思っています。
 
 さて、夏の課題が「具現化」ならば秋以降の課題は「実現」です。相も変わらず良く言えば(?)快活無軌道精神、悪く言えば計画性0で生きています。また興味に関しても相変わらず広く浅いままで、4年間でやり切れる気が全くしません。見境なく広がっていく興味・関心をしっかり把握・制御して意識的な行動の中に落とし込むのも今後の課題の1つです。わっかんねぇことだらけですが、もがくな焦るなゴーダ。自分のペースで進んでいこうと思います。 基本的に人見知りはそんなにせず話好きな性分ですが腹の底を語ることは極めて稀なのでこの投稿にも勇気がいりました。なんというか、自分が発する文章で自分を一面的に判断されることが少し怖かったような気がしてました。「文は人により伝わり、人は文により伝わる」ようなことを恐れていたのですね(この話も広げたいけど割愛)。それと、FBの投稿はハードルが高い、、、自分が書く文章の論理性とか正当性を突き詰めては頓挫するみたいなことを何回か繰り返していました笑。ですが周りに触発されたこともあり今日までの思考の過程を少し整理してみました。区切りの良いときに思考を言語化し次への決意を表明するのは良い節目になるだろうとも考えています。 そんなこんなでそろそろ20歳になりますが正直そんなに大きな感慨は感じてないです。ただ日頃こんなわがままで自己中な自分と付き合ってくれている方々には本当に感謝しています。それだけ言えれば満足です。これからもよろしくお願いします。