ふりかえりー3年前半

目次
1、目標から振り返る
2、過ごし方から振り返る
3、まとめ


1、目標から振り返る

 2年次末にはノンサー・ノンバイト、そして澤田ゼミにもお休みをいただくことになり、究極のニートとして3Sを始めた。それはそれで理由があって、「自分」と「自分の所属」をうまく分離することの(キャパ的・精神的な)必要性を痛感したからである。いったん全てリセットした状態で大学生活後半を始めたかった。
 ちなみに澤田ゼミに関しても、2年半で一番忙しいとも言われる3Sで中途半端にコミットするのは迷惑をかけるだろうと思ったが、ここは自分が無賃労働するに値する素敵なコミュニティであると思っていたので、辞めたいとはミリも思えず結果Aセメから復帰することにした。ゼミ生のご寛大な対応に感謝。

日記を振り返ってみると、3Sの目標は「①都市工に全振り②インターンをサブで頑張る」とある。前者はもうちょっと正確に言うと「①-1,座学を極める」「①-2,設計を頑張る」という2つの目標から成っていた。都市工学ないし都市計画という学問の概要を捉え、2Aでザル状態だった知識を確立するために座学はしっかり聞こう、設計は冬休みに上級生の強さ(自分のザコさ)を痛感したので、追いつけるように頑張ろう、と思った故である。
インターンは、地理情報関連でいわゆるプログラミングインターンをやっている場所があって、ご縁あってそこで働かせていただくことになったので、このご時世だしやってみよう、という自他共に認めるミーハー精神からである。
 といってもどっちも都市工学関連であることに変わりはなく、要は「3Sにブチブチに専門性を高めよう」と思った次第である。

ついでながら、日記には体重を5kg減らす(=入学当時)、などとも書いてある。
(結果1kgも変わってないのはご愛嬌)

この目標の甘さ、いかにも僕らしいと言ったところであるが、まぁそれは置いといて。

達成度合いで言えば、「都市工学に全振り」は70点、「インターン」は0点くらいである。
 前者は、成績というよりどれだけ「知識面で都市工を語れるようになるか」という部分で、そのベースを授業の座学に求めようということだったのだが、結局どれもテスト直前に知識を詰め込む形になってしまい、例えばアメリカやイギリス、ドイツの都市計画の違いについて具体的な用語に触れながら今その違いを説明できるかと言えば厳しいところがある。成績ベースでも良をいくらか叩き出してしまった。
 設計に関して言えば、僕の性格「優柔不断」がこれ以上ないほどに出てしまい、5回ほど設計を大きく変えたせいで3Dモデリングソフトを扱う時間を取れず、最後の自分のデザインには満足しているがそれを伝えるパネルを全く作り込めなかったことが、何よりの反省である。外部講評会に選ばれる選ばれない以上に自分の中での満足度を重視していたので、パネルを作り込めなかったという後悔が何より残る。ただ、色々な建築家や卒論集などで面白い建築をたくさん目にすることができて、それらの作品集を見ながら建築というアートの沼にズブズブと入り込んでいく時間は至福の時であった。
 インターンは、結局全然コミットできてないし、なんなら自分がコードを書けなさすぎて迷惑をかけまくってしまったとごめんなさい、というお気持ちである。その会社は個人経営なのだが、その方がとても良い方で、学生を「バイトの手先」ではなく「真剣に学ぶ生徒」として捉えていただいてる姿勢がよくわかり(そもそもその方が東大の客員研究員)それが大好きで尊敬していたのでなんとかその愛情に恩返ししたいと考えていたのだが、上述の通り演習に没頭しすぎてプログラミングに割ける勉強量がなく、1コマとっていたアルゴリズムの授業さえ試験を未受験にしてしまった。努力不足/キャパオーバーと言ってしまえばそこまでだが、パソコンに向かう中で、プログラミングに対する興味や熱意が自分の中で感じられなかったのが大きかったのかもしれないと考えている。社会の流行りにのって自分もやっとくか、的なゆるゆる精神が出てしまったのかもしれない。そしてもちろん単純な勉強量不足。インターン先でも日常業務(パワポやエクセルいじり、外部イベントのお手伝いなど)では時給分労働している意識があったが、ゴミのようなコードを書いている間に時給が発生することが申し訳なさすぎた。コミュニティとして、あるいはコミュニティの人間は大好きなのでなんとか貢献していきたい。


2、過ごし方から振り返る

目標という観点から語ると上記のようであるが、過ごし方という観点から次は語ってみる。
 S1は、演習が忙しくなくてゆとりがあったこともあり、毎日netflixの時間を確保しながら時々カラオケに行ったり、ちまちま勉強したり、夏休みのインターン選考(といっても学内向けのプログラム)に向けて準備したりと、適度なQOLを保ち続けてサイコーの日々だった。
 S2は演習が忙しくなり、毎日12時帰り。演習室でひたすら建築家の作品集を眺めては自分の清澄白河をつくりあげる日々。12時帰りは勲章ではなく、「高校時代部室にたむろして夜遅くまで残る」のテンションだったので別に偉くもなんともないが、その比喩からもわかるようにただただめちゃくちゃ楽しかった。座学が放置され気味になるのは仕方なかった(と言うのは甘えだが、できる人は本当にすごいと思う)。
 が、この繁忙期に友達から観光ツアーを提案するビジネスコンテストに誘われ、参加することになった。付言すればそれもインターンの進捗を遅らしめた主要因の1つであった。だが、当初の想像以上にここにコミットすることになり、結果として夏の上旬までを全てそのコンテストに捧げることになった。これはまだ途中なので夏休み編でまた詳細をば。
 ただS2後半(7月)は、インターンのリサーチ課題、演習、観光コンテストの3つ(と、ちょっとだけ澤田ゼミタスク←物量以上の心理的負担)があいまって、破局してしまった。その辺りのメンタルバランスの取れなさは本当に下手だと思う。精神的な詰みって正弦波みたいなものですぐに和らぐのに、なぜかその時その場はアップアップして息苦しくなってしまう。これは深追いすると1話書けてしまうのでまたどこかで。


3、まとめ
 マメな性格?なので、日記には毎日起床時間と就寝時間、体重をつけ続けている。
毎週日曜日には「 SNSの平均閲覧時間」と「その週の振り返り」もつけているはずだったが、前者は2週間に1回程度、後者は5月以降パッタリ消えた(演習が忙しくなるにつれ見事崩壊)。

 ここからもSセメの過ごされ方が垣間見えるが、総じていえば3Sは、はちゃめちゃ楽しかった。思うにこれには3つ理由があって、
 1つは大学3年目にしてお金と時間の使い方を身につけられるようになってきたこと。お金に関しては平凡な大学生としては「稼ぐ」「使う量を減らす」ことしか手段がないわけだけれども、稼ぎのメインたるバイトに対しては「スキル」「お金」を別軸で分けることでその効率化に成功できたと思う。使う量を減らすことに関しても、自分がお金を出していることに対して本当にその価値を受けているのか、とそれぞれの出費に問うことで納得して出費できた。でもまだまだ改善の余地あり。時間に関してはS1はホワイト企業的楽しさ、S2はブラック企業的な楽しさをそれぞれ満喫できた。
 2つめが、以前に比べ自分(の欲求)に素直に生きようと思えるようになったこと。前よりNoときっぱり言えるようになって、生きやすさが格段に上がった気がする。ただそれはそれで自分の殻に篭ってるだけなんじゃないかと思ったり、社会的責任から逃れてることを少なからず意味する気がするのでそれを引き受けてこそ得られる対価もたくさんあるのはよくわかる。例えばパ長という役職を引き受けた暁にはコミュニティデザインやらマネジメント的な部分で、あるいは知ってるお店のレパートリーとかで、得られるものは相当ある反面、それなりの労苦と時間的拘束、事故の際の社会的リスクすら伴う。大学1,2年次を経て、大人数飲み会避けたがるマンになってしまったので学科ではそのような役職を引き受けたいとは思えなかったけど、そのくせしてセメスター末に幹事を引き受けたことに対して今思えば中途半端にでしゃばった気がして、少しモヤモヤしている。2A頭時点でやらないと決めてたんなら黙って身を引いとけよ、と。
 3つめは大学生活中にやりたいことリストを少しずつ潰せるようになってきたこと。2A末に「大学生活半分終わった」という焦りから行動と意識をもっとここにフォーカスしようと思ったわけだが、少しずつ結果が出せてる気がする。あるいは単に社会人になることに対して心理的な準備ができつつあるだけでただの錯覚かもしれない。インターンを経て社会人になるのも悪くないなと思えたりしたが、Aセメへの抱負は、夏休み編の後に譲りたい。

 

ふりかえりー2年後半

 こんにちは。3月はGNLFがひと段落し、澤田ゼミも一旦お暇をもらい、バイトも引っ越しや生徒の受験に伴って終了し、大学2年次終了という節目を迎え晴れて”ノンサー、ノンバイト”(仮)、の身分となりました。唐突な自分語りをする程度には時間を持て余して貴重な学生の時間を浪費しています。

 今まで特に話していなかったので、学科選択の理由とそれ周りの近況でも記しておこうと思います。聞かれてめんどくさい、なんてことは全くなく、むしろ語り合いたいくらいなのですが笑。

 大学に入ってからいくつかの活動に参加する中でわかったことは、「自分は理念レベルで共感できないことは頑張れない」ということでした。どんなにキラキラしてそうに見えても、それ誰のために?何のために?とかって突っ込んだときに賛同できないことに対しては、全然食指が動きませんでした。かつて自分の中では「公益に資するか否か」という言葉で表していましたが、要はそれが満たされているかどうかが、自分が活動をする上では大事でした。

 そんな中で自分が専門を選ぶにあたり目をつけたのは、「衣食住」でした。これらに関わる学問って絶対必要だし、カッコよくない?って思ったのです。加えて「理系で授業がある程度厳しいところがいい」「進振り点数」みたいな瑣末なこだわりを考慮した結果、工学部都市工学科都市計画コースとなったのですが、手前味噌ながらこの判断は大正解でした。2年次後半は講義では都市計画に関する諸々のいろは、演習(理系における#実験”的ポジションのアウトプット型授業)ではランドスケープアーキテクト/都市デザインを中心に勉強してきました。「住」って誰にでも関わるものだし、これほど「公益に資する」ものってないと思ってます(自己正当化バイアスが多分に入っていることは否定できません笑、つまるところどんな学問もそんなもんだと思ったりもしますが)。とりあえず、勉強していてとても楽しかったし、自分がこの世界に志を立てるにこれ以上ふさわしいものはないと思いました。ただ、道のりは遠いです。先日設計コンペに出てみたのですが、メンバーには恵まれたものの惨敗でした。優秀賞を取った作品をみて力の差を感じました。精進します。ひとまず3年前期は、学業に無限にコミットしようと思っています。よくわからないけどよくわからないなりに、今の場所でもうちょっと先に進んだら何かが見えてくるような気がしています。勉強不足なれど、同時に勉強から研究への過渡期に差しかかろうとしていることも感じています。院進が確実になってきて、年齢や学年に対するタカが外れようとしていて、そんな中で青写真がだいぶぼやけた、いわば”水色写真”なるものが視界でぼやけていて、やっぱり先行きは不透明なままです。あと、全然関係ないんですが、大学に入ったら自分がそれまで最も無縁だったファッション・文学・音楽をかじってみたいとずっと思っていました。結果、ファッションはあるレベル以上になると課金ゲーになるので撤退気味、文学は大した量ではないにせよ自己満足程度にはかじることができ、音楽は手をつけるタイミングを失いやや後悔しています。
 そんな感じの「アート」なるものへの憧憬が自分の中にあったのかもしれません。気づいたら、柄にもない美術館めぐりなんてする人間になっていました(これといった教養がなくても意外と楽しめるものですね)。そんな自分が都市工学というアーティスティックな専門を選んだことによくわからない奇妙な縁を感じています。

ふりかえりー1年前半

ご無沙汰しております。入学してから半年が過ぎようとしています。タイミングは謎ですが、近況報告でもしようかと思います。といっても、近況報告するにはあまりに溜め込みすぎて自分でも整理がついていないのですが、だからこそ、と筆をとった次第です。

「足元を固めよ」
いきなりどうしたと言われるかもしれませんが、これが僕がSセメで得た結論です。
 入学以来、溢れんばかりの”破格”が耳朶を搏ち、自分が”後発組”であることを改めて自覚しました。周囲を見渡してもありえん優秀な人がゴロゴロいて、その中で自分が提供できる価値に悩んだり、彼らに追いつこうとして歩幅を変えようとして空回りしたり、いろいろなことに手を出して地に足着かなくなったりなどして迷走したSセメでした。
 ですが一歩引いて冷静になって考えてみると、今の自分が焦ったところで何一つ成せることはありません。基本的に要領が悪く何事も習得に人より時間がかかる性分な上、今まで蓄積してきた中に特筆できる何かがあるわけでもない。
 ならば今は、教養期間であることもわきまえながら、雌伏の時と心得て、進むべき方途を探したり寄り道をしたりするべし、と。燻る想いを爆発させるのは今である必要はない、と。サラッと書き終えましたがここに至るまでの紆余曲折は自分の中では長いもので、激動の4ヶ月の中でこの結論が得られたことにある種の達成感と安堵を感じています。

 じゃあ足元を固めるって具体的に何?その問いをどこまで自分の中で言葉に落とし込み具現化できるかが夏休みの課題でした。 夏は大学入学以来没入していたTwitterを停止しSNSの通知音から隔絶される(時々長期放置、ご迷惑をおかけしました)喜びを知るとともに様々な目的でいろいろなところへ出掛けていました。学生会議で海外大学生に喝破されると同時に彼らとフレンズになったり、初めて一人で旅行に出掛けてみたり、人と会って話しまくって脳がはちきれそうになったりただダベリまくったり。
 未知の体験だらけの中で一つ感じたことがあります:どんなに濃密な経験をしても、その内容を自分の中に蓄積/咀嚼できないようではまるで空虚である、ということ。大事なのは自分の行動に自分がどんな意味づけを与えられるかということ。例えるなら、同じ坂を下る玉でも丸さによって転がる速度が違うような、、、(伝わってる?)内面、教養、芯みたいなものが全然足りないな、と強く思いました。
 中身から固めていくこと。坂の緩急じゃなくて、自分自身の玉の丸さに重きを置いて磨きをかけること。知識を固めること。興味の赴くままに学びたいことをのびのびと学ぶこと。敷衍すれば、地に足着いた毎日を堂々と過ごすこと。そんな点に想いを馳せることができた夏だったのではと思っています。
 
 さて、夏の課題が「具現化」ならば秋以降の課題は「実現」です。相も変わらず良く言えば(?)快活無軌道精神、悪く言えば計画性0で生きています。また興味に関しても相変わらず広く浅いままで、4年間でやり切れる気が全くしません。見境なく広がっていく興味・関心をしっかり把握・制御して意識的な行動の中に落とし込むのも今後の課題の1つです。わっかんねぇことだらけですが、もがくな焦るなゴーダ。自分のペースで進んでいこうと思います。 基本的に人見知りはそんなにせず話好きな性分ですが腹の底を語ることは極めて稀なのでこの投稿にも勇気がいりました。なんというか、自分が発する文章で自分を一面的に判断されることが少し怖かったような気がしてました。「文は人により伝わり、人は文により伝わる」ようなことを恐れていたのですね(この話も広げたいけど割愛)。それと、FBの投稿はハードルが高い、、、自分が書く文章の論理性とか正当性を突き詰めては頓挫するみたいなことを何回か繰り返していました笑。ですが周りに触発されたこともあり今日までの思考の過程を少し整理してみました。区切りの良いときに思考を言語化し次への決意を表明するのは良い節目になるだろうとも考えています。 そんなこんなでそろそろ20歳になりますが正直そんなに大きな感慨は感じてないです。ただ日頃こんなわがままで自己中な自分と付き合ってくれている方々には本当に感謝しています。それだけ言えれば満足です。これからもよろしくお願いします。

読書ー3年後半

10月
・存在の耐えられない軽さ / クンデラ著 ; 西永良成訳

 

11月
・地域産業のイノベーションシステム : 集積と連携が生む都市の経済 / 山﨑朗編著 ; 戸田順一郎 [ほか] 著
・駅まち一体開発 : TOD46の魅力[recipe] / 日建設計駅まち一体開発研究会, 新建築社編集
国境の南、太陽の西 ; スプートニクの恋人 / 村上春樹

 

12月
残像に口紅を/筒井康隆
社会主義への挑戦: 1945-1971 / 久保亨著
・建築家安藤忠雄 / 安藤忠雄
・二十歳(はたち)のころ : 立花ゼミ『調べて書く』共同製作 / 立花隆, 東京大学教養学部立花隆ゼミ著 ; 1 : 1937-1958
・繁栄のパラドクス : 絶望を希望に変えるイノベーションの経済学 / クレイトン・M・クリステンセン, エフォサ・オジョモ, カレン・ディロン著 ; 依田光江訳

 

1月

・建築プロデュース学入門:おカネの仕組みとヒトを動かす企画/広瀬郁著
・地方創生大全 / 木下斉著

クリエイティブ・コミュニティ・デザイン : 関わり、つくり、巻き込もう / 紫牟田伸子, [フィルムアート社] 編集部編

・コミュニティによる地区経営 : コンパクトシティを超えて / 大野秀敏 [ほか] 著

坂茂 / 日経アーキテクチュア編

・カント : 美と倫理とのはざまで / 熊野純彦[著] ※読み切らず

 

2月
坂の上の雲/司馬遼太郎
金田一少年の事件簿R 1~14巻/天樹征丸金成陽三郎さとうふみや
・東京グール1~14巻/石田スイ

 

3月

・金持ち父さん貧乏父さん/Robert Kiyosaki

・誰でも無理なく継続的にお客様が集まる 起業1年目の集客の教科書/今井孝

・大人の語彙力/斎藤孝

・非進学校出身東大生が高校時代にしてたこと/太田あや、UTFR

・春、死なん/紗倉まな

・FACTFULLNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣/ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロスランド著、上杉周作訳

・GIVE & TAKE 与える人こそ成功する時代/アダム グラント著、楠木健訳

・東京エリア戦略 ビジネスの勝敗は商圏で決まる/榎本篤史

・「言葉にできる」は武器になる/梅田悟司

・日本再興戦略/落合陽一

・メモの魔力/前田裕二

・読みたいことを書けばいい/田中泰延

・龍馬がゆく/司馬遼太郎

 

 

 

読書ー3年前半

4月
「tactical urbanism」
「夜明け前」島崎藤村

5月
「氷」アンナ・カヴァン

6月
仮面の告白三島由紀夫
「書を捨てよ、町に出よう」寺山修司
「自叙伝・青春論・幸福論」寺山修司
「峠」司馬遼太郎

8月
車輪の下ヘルマン・ヘッセ作 ; 実吉捷郎

9月
「「対話」のない社会 : 思いやりと優しさが圧殺するもの」中島義道
「街場の憂国論」内田樹

読書ー2年後半

9/25~9/30
「まちを想う: 西村幸夫講演・対談集」西村幸夫
日本産業の構造変革」中川幾郎、小林伸生、橋本介三
「国際地域開発の新たな展開」日本国際地域開発学会
10/1~7
菊と刀ルース・ベネディクト ; 越智敏之, 越智道雄
夜は短し歩けよ乙女森見登美彦
「建築環境工学用教材 環境編」日本建築学
「日本近現代都市計画の展開」石田頼房
10/8~14
人魚の眠る家東野圭吾
「明日の田園都市」エベネザー・ハワード;山形浩生
「群馬から発信する交通・まちづくり」湯沢昭, 森田哲夫 ; 塚田伸也 [ほか] 
10/15~21
「都市交通計画論」新谷洋二, 原田昇編
ヒルサイドテラス白書」 槙文彦, アトリエ・ヒルサイド編
ヒルサイドテラス+ウエストの世界 : 都市・建築・空間とその生活」 槇文彦
アルジャーノンに花束をダニエル・キイス;小尾 芙佐訳
10/22~28
「世界のSSD100 : 都市持続再生のツボ 」 東京大学cSUR-SSD研究会編
グローバリズム以後」エマニュエル・トッド朝日新聞
「小さな雑誌で町づくり : 『谷根千』の冒険」 森まゆみ
10/29~11/4
「シャルリとは誰か」エマニュエル・トッド堀茂樹
アメリカ大都市の死と生」Jane Jcobs;山形浩生
「新建築2018-10月号」新建築社
11/5~11
「反<絆>論」中島義道
哲学の道場」中島義道
「知識人とは何か」エドワード・W・サイード
11/12~18
「斜陽」太宰治
「貧困とはなにか : 概念・言説・ポリティクス」ルース・リスター著 ; 立木勝訳
11/19~25
「哲学者に会いにゆこう 」田中さをり著者代表 ; 永井均 [ほか述]
「「聞く力」を鍛える」伊藤進
11/26~12/2

12/3~12/9
NIMBY (ニンビイ) シンドローム考 : 迷惑施設の政治と経済 : Not in my backyard」 清水修二
「リスクガヴァナンスの社会心理学」広瀬幸雄編
「環境紛争と合意の社会学 : NIMBY (ニンビィ) が問いかけるもの」土屋雄一郎
「都市計画・まちづくり紛争事例解説 : 法律学と都市工学の双方から」 都市計画・まちづくり判例研究会編著
12/10~12/16

12/17~12/23
「3・11後の建築と社会デザイン」 三浦展, 藤村龍至編著
ノルウェイの森村上春樹
セロ弾きのゴーシュ宮沢賢治
風の又三郎宮沢賢治
「永訣の朝」宮沢賢治
12/24~12/30
スターバックス成功物語」ハワード・シュルツ, ドリー・ジョーンズ・ヤング著 ; 小幡照雄, 大川修二訳
海辺のカフカ; 上 」 村上春樹
12/31~1/6
「民泊を考える」浅見泰司, 樋野公宏編著
海辺のカフカ;下」村上春樹
1/7〜1月末
「地図は嘘つきである」マーク・モンモニア著 ; 渡辺潤訳
「見えがくれする都市 : 江戸から東京へ」槙文彦他著
「都市計画根底から見なおし新たな挑戦へ 」 蓑原敬編著 ; 西村幸夫 [ほか] 著
スターバックス成功物語 」ハワード・シュルツ, ドリー・ジョーンズ・ヤング著 ; 小幡照雄, 大川修二訳

春休み
「『農企業』のムーブメント : 地域農業のみらいを拓く」小田滋晃 [ほか] 編著
「史上最強の哲学入門」飲茶著
「お金の不安がなくなる哲学」ジョン・アームストロング著 ; 熊丸三枝子訳
「RePublic : 公共空間のリノベーション」馬場正尊, Open A著

挫折したもの(春休み)
中原中也全集  山羊の歌、とか
失われた時を求めてプルースト

 

 

ブログを開設したよ

 留学にあたって発見・気づき・思うことをぶちまけよう、文章にしようと思いたち、始めてみた。Twitterでは不十分だと感じてきた今日この頃。そして自分の意見をはっきり通そうと思い始めた今日この頃。
 自分を知っている人に読んでもらえれば満足だしまだ文体も決めかねているが、である・の訓話調を用いた方が発信できる幅も広がりそうである、うん、それにしよう。


 しょっぱなから余談で恐縮だが、最近webサイト作成にハマっている。いままでできなかったことができるようになるのは何事においても楽しいもので、一時期は「webサイト作成×留学発信=収益化?!」などと浅い、浅すぎて殴り倒したくなるような考えを持っていた時期もあったが、頭冷やして調べてみると、やはりブログで稼ぐにはそれなりの労力が取られるらしい。そうなると書くことが目的化してしまいそうだ。既存の媒体を使おう、丸くおさまった。

 

 ダーゴという一人の人間の営みや考えを文章にする、その日その時で思うことを記録に残す。それはただの自己満足的な行為に違いないのだが、もしかすると、ぼくのひとりごとは誰かのひとりごとと共感して、あるいは微妙な差異から読者が何かの気づきをえられるかもしれない。

 ま、難しく考えすぎると長続きしなさそうなので(笑)、気長に書くぞ〜